駅前で聞くんだ。明日何時起き?ってね
ジュリアンが大好き
somedayが大好き
last niteが大好き
under controlが大好き
under cover of darknessが大好き
好きなものは増えてく一方だけど、変わらず好きでいるものというか、これを越えるものはあるのだろうか?ってものについて少しだけ考えさせられて悲しくなったり
思い出だったり年月だったり、それを好きになった時期だったり色々加味されてるのかもしれないけど結局ガラッと変わったなんて思っても戻ってきてしまうというか
インスタントに最高!っていう瞬間なり曲は沢山あるけどそれが継続となると凄く難しいというか
好きなバンドなり音楽が沢山ある人が本当に羨ましいというか尊敬してしまう
どっかで比べちゃったり退屈だなんて思ってしまったり全く増えないなんてことはないから少しずつ増えていってるけど毎日話のネタにするほど好きなものなんて全然出てこない
strokes内でこれが良いなんてインスタントに感じたとしたらそれは好きな曲リストに加わってもう外れることはないのに他のバンドだと話は別で、いつの間にか忘れちゃったり存在そのものすら忘れたことに気付いてないこともあるかもしれない
このままずっと自分の中でstrokesを超える音楽に出会えないのかもしれないって思ったら本当に悲しくて
でももしかしたらそれはもう期待してないからなんてこともあったりするのかな、なんて思い出して
唯一絶対神とでもいうか軸というか
こんなのが好き!なんて分かってなかったり、こういうのが嫌いなんて思い込んでたりとか、そういう試行錯誤の中で定まってなかった好きっていう価値観の軸になっちゃってるというか
ただただstrokesを聞いてた時期もあったと思うんだ
きっと高校時代とかはそうだったと思う
それがいつからかこれが好きなものって定まっちゃってて
それはこれが最高だ!とか別に意識したわけでもなくいつの間にか
Arctic Monkeysも好きだよ。the viewも。
でも結局strokesだなってなっちゃうんだからもうそういうことなんだろうけど
危うさとか絶対的存在とかそういう価値観的なニュアンスも込み込みかもしれないけど
Arctic Monkeysと何が違うって100%の満足があるかないかってことと、Arctic Monkeysは曲以外の部分もかなり好きなんて部分もあったり
何よりArctic Monkeysに関しては単純に良くないって価値観を持たないようにしてるからつまらないって思わない分つまらないのかななんて
勿論strokesも曲以外の部分で好きなことは沢山あるんだけど
面白い文章を書く人がいてなるほどなと思ったことがあって物凄く噛み砕くと
strokesはある意味スタンダードというかこれがそれ感というか当たり前感というか思われがちだけど実は時代背景から考えれば奇妙で
それがいつの間にか受け入れられてスタンダードになってるみたいな?
個人的にはArctic Monkeysが奇妙過ぎてそこが好きになったのは間違いないんだけど、だからこそ逆にそれがシンプルになったらみたいなstrokesにより惹かれたのかななんて思ってて
strokesの方が先に聞いてて好きは好きだったけどこうだったら良いのにみたいなのがstrokesには気付いてなかっただけであったみたいな?
例えば高校時代はstrokesの3rd苦手だったんだけど今は好きで
それは当時奇妙奇天烈というかスタンダードじゃないと思ってたものが、気付いたらそんなのだらけでそれに慣れたらそれを更にシンプルにしたのがそこにあったみたいな再発見とでもいうか
勿論年月もあるんだろうけどstrokesの4thと5thも今はまだついてけてないだけでいつか気付かされるかもって可能性は信じられるというか
なんか言われてみればstrokesって別に普通じゃないなぁみたいな
いつの間にかスタンダードとして受け入れてたけどみたいな
そんな紆余曲折を経て好きになっていったものを超えられるほどのポップネスというか、それこそ奇妙だけどスタンダードになり得るというかそんなものあり得るのか、あったとして聞き続けられるのかなんて
待ってはいるんだけど出てくる気はしないって思っちゃってるのかな
そんな中でhappyのlucyに期待しちゃってるけどこれ聞けば聞くほどstrokes感満載で
自分の中で邦楽っていう新しいジャンルだなんて思ってただけで結局何も変わってないインスタントな消費に終わっちゃうのかななんて
矢澤じゃないけど何も進歩してないんじゃないかなぁなんて無駄なこと考えちゃってる
あぁ無駄な時間だわって
こんなこと書きたいわけじゃなかったのに脱線したからもう一回同じこと次も書こ
ほなマタニティ